2010年1月30日

「緊張感」と「寂寞感」の持続

『ロング・グッドバイ』

1973年/アメリカ
監督:ロバート・アルトマン
出演:エリオット・グールド ニーナ・ヴァン・パラント スターリング・ヘイドン マーク・ライデル ジム・バウトン ヘンリー・ギブソン

評点:★★★★★★★★★☆

 うわーーーもう、なんなんだろうな、これは! 役者も、演出も、編集も、カメラも、色彩も、美術も、とにかく何もかも、全てがイイ! やっぱアルトマンだ。この時期で全時代的、全世界的な映画をアメリカで製作していた映画人はアルトマンとカサヴェテスくらいのものだろう。
 エリオット・グールドはほとんど全てのシーンでタバコを吸っている。しかもマッチの摺り方が素晴らしい。こんなキャラクターを演じるグールドも凄いけど、ここまでのキャラを演出するアルトマン!
 そういえば、村上春樹が原作の「長い別れ(The Long Good-bye)を新訳してましたね。読んでみたい気もするし、読むのが怖い気もする。翻訳モノはどうも苦手でねぇ。クラークの「幼年期の終り」とかガルシア=マルケスの「百年の孤独」みたいな傑作ですら、どうも身に響かなかったからだ。
 マーク・ライデルが情婦をコーラの瓶で殴るシーンと、ラスト直前の場面での似たようなシチュエーション。ここは、ライデルがコーラ瓶とともに表現される陰惨な場面があったからこその、その後の拍子抜け。いや、説話論的な「あざとさ」などを根本的に拒否しているからこその、あの緊張感とその後の寂寞感の持続なんじゃないだろうか・・・?
 いやぁ、やっぱりカサヴェテスやゴダール、アンゲロプロスに似てるよなぁ。この類似性が根本的にどこから来てるのか。これを明晰にする事は、今後の過大だろう。犬や猫など小動物の使い方・・・。なんかなぁ、もう、凄いなぁ。

2010年1月23日

極めて平凡で退屈な映画

『THX-1138』

THX 1138
1971年/アメリカ
監督:ジョージ・ルーカス
出演:ロバート・デュヴァル ドナルド・プレザンス マギー・マコーミー イアン・ウルフ

評点:★★★☆☆☆☆☆☆☆

 うーん・・・なんだろう、極めて平凡で退屈な映画だと思う。後半のカーチェイスとかはまずまずいい雰囲気と疾走感だけども。同じルーカスの『スター・ウォーズ』シリーズの宇宙活劇を期待するとエライ眼に遭いますな。

 銀色マスクのポリスマンの造形なんかは好きなんだが、彼らが普通に言葉を喋っちゃイカンでしょう。作り手は邪悪さがどういうものか、何もわかってない。凶悪さってモノがいかなる事かを理解していない。ま、そんなものを狙ってないのかもしれないが、これじゃあ志が低いと思う。

 ロングショットがやたら多かったり、かと思えばヘンなクローズアップを多用してたり、なんか自主映画を無理やり見せられているような居心地の悪さ。

2010年1月16日

0点を狙って0点を取ってしまったかのような危うさ

『監督・ばんざい!』

2007年/オフィス北野=東京テアトル
監督:北野武
出演:ビートたけし 江守徹 岸本加世子 鈴木杏 吉行和子 藤田弓子 内田有紀 木村佳乃 松坂慶子 大杉漣 井出らっきょ

評点:★★★☆☆☆☆☆☆☆

 ぜっっっっっんぜん面白くない! しかし、ここで★1点をつけてしまうと、たけしの策略に嵌まるような気がして、★3つにしておく。このあたりの微妙な評価がこの映画にはお似合いだ。
 0点を狙って0点を取ってしまったかのような危うさは、個性的な作家に許された特権階級なんではないか? それは例えばゴダールであったりタランティーノであったりするわけだが、たけしはなぜか(本作でも言及されている通り)過去12作品の中で客がまともに入ったのは1作だけだと吐露する。それでも次回作が撮れてしまうのは、バラエティ番組でのギャラを映画製作に充てているからだろうと推察できるが、こんなフェリーニの『8 1/2』の出来の悪い換骨奪胎みたいな映画で観客を煙に巻こうとは、いくらなんでも虫が良すぎるでしょう。
 岸本と鈴木杏が新幹線と電車を乗り継いで行く場面なんかは、映画としてのロケーションとセット撮影の間を揺れ動く危うさを体現しているし、映画作家ならではの表現ではあるものの、特に映画後半で面白いシーンはそれくらいしかなく、画面造形自体の薄っぺらさは如何ともし難い。ただ、唯一びっくりしたのは内田有紀の奇跡的な可愛さと素晴らしきスタイルの良さ。30歳過ぎてイイ女になってきましたね。
 映画の初っ端で否定しちゃってるのにこんなこと言うのもあれだけど、我々は再度『その男、凶暴につき』や『ソナチネ』のようなギャング映画が観たいのだ。お願いしますよたけしさん!

2010年1月11日

ドン・シーゲル&イーストウッドが思い出に変わる前に

『アルカトラズからの脱出』

Escape from Alcatraz
1979年/アメリカ
監督:ドン・シーゲル
出演:クリント・イーストウッド パトリック・マクグーハン ロバート・ブロッサム ジャック・チボー フレッド・ウォード ポール・ベンジャミン ラリー・ハンキン


評点:★★★★★★★★☆☆

 脱獄モノと言えば、まず思い浮かぶのがジャック・ベッケルの『穴』(1960)か。何度も何度も観たなあ。実にサスペンスフルな傑作であった。ブレッソンの『抵抗-死刑囚の手記より-』(1956)も、変化球ではあるが良作。しかしそれでの脱獄囚は、暇潰しがてらちょっと脱獄でも企ててみましょうかという感じで、確かにサスペンスではあるが、いかにもヘンな映画ではあった。あとは、アラン・パーカ-の『ミッドナイト・エクスプレス』(1976)も鮮烈に脳裏に焼きつく。しかしこれはラストシーンで僥倖的に脱獄のチャンスが巡って来たというだけであって、正確に言えば脱獄モノではないと思う。映画史には『ショーシャンクの何とか(笑)』なんという、愚にも付かぬ凡庸で恥ずかしいジャンル映画があったが、あれは何か質の悪い冗談だったことにしておこう。スティーヴン・キングの傑作小説「刑務所のリタ・ヘイワース」を、どのようにすればあれほど平面的な画面設計に映画化することができるのだろうか。フランク・ダラボンに全く才能が欠けていることは間違いない。
 さて、この『アルカトラズの脱出』はまさに正統派の脱獄映画だ。まず、ブルース・サーティースの撮影が素晴らしいとしか言い様がない。何というクリアーで透明感の強い画面作りだろう。映画は終始、暗い暗いアルカトラズ刑務所の中で展開されるわけだが、3人が脱獄に成功した後の陽光が燦燦と降り注ぐラストシーン(パトリック・マクグーハンが菊の花びらを手に取る!)と、それまでの大部分との対比が見事だ。
 また、本作は「音」の映画だ。看守の靴音。牢屋の扉が閉まる重い音。スプーンが床に落ちる音。イーストウッドが腐ったコンクリートを爪切りで削る音。そして、”ドク”が自分の指を鉄斧で切り落とす鈍い音・・・。この場面での静かなサスペンス演出には心底感動した。ウルフとイーストウッドの微妙な距離感なんかも至妙であって、どうやったらあんなことが可能なのか。やっぱりシーゲルは凄いと思う。
 いわくつきの刑務所の金属探知機をはじめとしたセキュリティがあんな稚拙なわけないだろ!とは思うし、説話論的なツッコミどころは多数ある映画ではあるけども、そんなことを微塵も感じさせずに映画的な真実として観客に納得させてしまうところは、やっぱり作り手が上手なんですよ。

2010年1月10日

意外に地味な映画

『オーメン』

The Omen
1976年/アメリカ
監督:リチャード・ドナー
出演:グレゴリー・ペック リー・レミック デヴィッド・ワーナー ハーヴェイ・スティーヴンス ビリー・ホワイトロー


評点:★★★★★★☆☆☆☆

 小学生のときに観てちょっとトラウマになってしまった映画。久々に観たが、案外に地味な作りなので驚いた。
 デヴィッド・ワーナー首チョンパのシーンはかなり後半なんですね。子供の頃観たのは、テレビ用にかなり短縮したヴァージョンだったのだろう。カット毎の余韻がとても長く、アメリカ映画の底力を感じさせる。
 キリスト教圏外の日本でしかも無宗教の自分にとっては、宗教的な描写は退屈でしかないのだが、悪魔の子ダミアン自信にほとんど邪悪な感じが窺えない。これはとても致命的な欠陥だと思う。ラストカットでカメラのほうを振り向いてニヤリと笑う場面だけで(悪魔の申し子としての)ダミアンの邪悪さを表現しようというのは、さすがに虫が良すぎるんじゃないか。いちばん怖い顔は乳母役のビリー・ホワイトローってんじゃ、ホラー映画としてはあまりにもパワー不足だ。ここは演出家のリチャード・ドナーにもう少し頑張って欲しかったが、まあ無いものねだりってことか。
 乳母の首吊りや神父の串刺し、救急車の屋根に落下する母親や、前述のデヴィッド・ワーナー首チョンパなど、人が死んでいく場面のインパクトはなかなかで、特に首チョンパ場面はあらゆる角度から執拗に首が飛ぶ場面を見せる。やっぱりこういう描写が我々を興奮させるのだ。
 前半はあおりのクローズアップが随分多いが、ドライエルの『裁かるゝジャンヌ』をやりたかったのだろうか。かと思えば後半は俯瞰のショットが散見され、カメラの使い方も贅沢だなあ。

2010年1月8日

これじゃあ「説得力」に欠ける

『もののけ姫』

1997年/スタジオジブリ他
監督:宮崎駿

評点:★★★★☆☆☆☆☆☆

 人間を文明の象徴として描くのは当然だろう。アニメ作品とはいえ、やっぱり観客は人間が画面に映っていればまずは人間を見てしまうものだ。時代や国がどこかもよくわからない設定の上、主役どころのアシタカやサンは相当人間離れした様相を漂わせている。それにしても、だ。人間が主役じゃないと映画は成立しない、と言い切ってしまってもいい。
 しかし、その対立構造としての相手方を、自然=神・偶像としてしまったのはいただけない。これじゃあ説得力に欠ける。ここでいうその説得とは、この映画の根底に流れる「説教臭さ」によって逆に収斂されているのだから尚更だ。そもそも本作や『風の谷のナウシカ』は、深淵なるテーマ性というやつでここまでの評価と栄光を勝ち得たのだし、だからこそ『ナウシカ』に出現する巨大なイモ虫や腐海のような、ある意味観客にとって判りやすい象徴のほうに軍配が上がる。『ナウシカ』が実像だったから今度は虚像にしようじゃあ、あまりにも観客を舐めすぎているんじゃないか。
 とは言え、冒頭から映画がかなりの助走をつけて勢いよく走り出しているのはさすがに宮崎駿作品だ。なかなか走り出さなくてイライラする、それどころか最後まで歩いたままの日本映画のいかに多いことか。物々しいタタリ神とアシタカの、山の斜面における追跡劇の昂揚感。それまで気持ちいいほど猛々しかったタタリ神が、両目に矢を打ち込まれて急速に朽ち果てていくメリハリの利いた画面作りにはハッとさせられたのだが、その一連のシークエンスを超える場面がけっきょく最後まで見られなかったのは残念だ。
 本作がいかに『ナウシカ』より劣っているかをひとつひとつ論うのは慎むが、声優の質が圧倒的に劣化してるのは致命的だと思うがどうか。調べてみたら、サンの声は石田ゆり子。全く声に張りがない。あとは小林薫とか西村雅彦とか森光子とか。客寄せのためなんですかねこれは。そういえば最近のハリウッド製含めたアニメ映画の声や吹き替えは、プロの声優じゃない人選をしていることが多い。これは文明の後退と言えるんじゃないか?