2009年9月30日

ゴスフォード・パーク

Gosford Park
2001年/アメリカ
監督:ロバート・アルトマン
出演:マギー・スミス マイケル・ガンボン クリスティン・スコット・トーマス 
ボブ・バラバン カミーラ・ラザフォード チャールズ・ダンス ケリー・マクドナルド エミリー・ワトソン クライヴ・オーウェン

何と言ってもいわゆるアクターズ・ディレクションの手腕が凄すぎる。やはりアルトマンも天才だ。同じカットの中で、貴族たちやメイド、従者たちが行き交うショットの素晴らしさ。繊細な演出力と現場統率力がないとできない芸当だろう。

おまけ的な扱いで殺人事件が取り扱われ、サスペンス仕立て、ミステリー仕立ての映画でもあるのだが、ウィリアム卿に毒を盛ったのは一体誰なのか、バレバレです(笑) まあバレバレなのはアルトマンの意図というか、もともとこの人はサスペンスを盛り上げることには興味がないのだろうし、その手の映画だと思って観ると詰まらないでしょうね。

★★★★★★★☆☆☆

2009年9月29日

ゲッタウェイ(1972)

The Getaway
1972年/アメリカ
監督:サム・ペキンパー
出演:スティーヴ・マックィーン アリ・マッグロー ベン・ジョンソン アル・レッティエリ サリー・ストラザース ボー・ホプキンス


銃撃戦やカーアクションばかりが取り上げられ、もちろんそれも素晴らしいのだが、アル・レッティエリと、獣医夫婦のやり取りがとても心憎い。車の中でスペアリブの骨を投げ合う場面や、主人の唐突なバスルームでの首吊り自殺、巨乳嫁のハスキーな叫び声など、極めてグロテスク。

ただ、全体的にはややダラダラしている印象で、そんなに出来はよろしくないと思う。特に冒頭のフラッシュバックは映画をつまらなくする。フラッシュバックが効果的に使われた映画なんて、俺はほとんどお目にかかったことがないぞ。

夫婦とトラック運転手との微妙な掛け合いのラストシーンはとても好き。

★★★★★★☆☆☆☆

2009年9月28日

ラヴ・ストリームス

Love Streams
1983年/アメリカ
監督:ジョン・カサヴェテス
出演:ジーナ・ローランズ ジョン・カサヴェテス ダイアン・アボット 
シーモア・カッセル リサ・マーサ・ブルイット マーガレット・アボット

ジョン・カサヴェテスとは、娯楽でも芸術でもない、映画そのものとでも言うしかない作品を取り続けてきた崇高な人物である。野蛮、かつ純粋な、映画そのもの。常に、一切の約束事から開放されて自由奔放なフィルムを我々に提示し続けてきた。映像ってのは元来ダラダラしているもので、ありのままを映すと詰まらなくなるはずなのだが、カサヴェテスの映画は画面に釘付けになってしまう。一体これはどういうことか? まるで魔法にかけられたようだ。

大傑作『フェイシズ』に比較してしまうと見劣りするのは致し方ない。『フェイシズ』の奇跡的、僥倖とも言える完成度は、ちょっとやそっとじゃ出現しようもない。この『ラヴ・ストリームス』はちょっと尺が長いってのもあるかもしれない。

しかし、ジーナ・ローランスとカサヴェテス夫妻の果てない魅力。しかし、これが姉弟という役柄だったとは、映画が始まってかなりの時間が経過してから気付いた(汗) カサヴェテスはまあもともと俳優だってこともありイイのだが、ちょっと壊れたローランズの可愛さがもう圧倒的だ。こんな女優が存在するってだけで、アメリカ映画は反則だと思う。いやホントに。

★★★★★★★★☆☆

2009年9月27日

マーニー

Marnie
1964年/アメリカ
監督:アルフレッド・ヒッチコック
出演:ティッピー・ヘドレン ショーン・コネリー マーティン・ガベル 
ダイアン・ベイカー マリエット・ハートレイ ブルース・ダーン

ヒッチコック後期の秀作。

表面的なサスペンス描写よりも心理サスペンスに重点が置かれ、ティッピーの演技もなかなか頑張っている。当初は”王妃”グレース・ケリーがマーニー役の予定で、ティッピーはいわば代役だったそう。それがこのクールビューティーの魅力を引き出す結果となったのかもしれない。

マーニーが事務所の金庫に盗みに入るショットは、緊迫感があって素晴らしい。やはりヒッチコックは頭がいい。

★★★★★★★☆☆☆

2009年9月26日

ゴダールのリア王

King Lear
1987年/アメリカ
監督:ジャン=リュック・ゴダール
出演:ピーター・セラーズ モリー・リングウォルド バージェス・メレディス 
ジャン=リュック・ゴダール ジュリー・デルピー レオス・カラックス

ジガ・ヴェルトフ集団における映画への政治的アプローチから、商業映画回帰後のゴダールの、掛け値なしの最高傑作。極めて透明で、繊細な美しさをもった奇跡的なフィルムだ。

ドルビーサウンドを最大限に駆使した音楽の重厚感と、そして、鳥の囀り、オーケストラ、幾重にも重なるセリフと音。シェイクスピア5世を演じるピーター・セラーズ(『ピンクパンサー』シリーズやハル・アシュビー監督『チャンス』のセラーズとは全くの別人)の佇まいと、スープを啜る仕草、メモを取りながら歩く稀有な映画的存在感。どれもこれも素晴らしすぎて涙が出てくる。いつも思うのだが、ゴダール映画に出てくる人はどうしてこうも活き活きとしているのだろうか? 本当にすごい演出家だと思う。そう、例えば動物だ。動物は自分が今撮影されている映画にどのような形で加担しているかなんて判らないわけで、ゴダールは人間でも同じような演出をしたいのだろう。

最も判りやすい例はオムニバス映画『ロゴパグ』のゴダールのパート「新世界」。冒頭で、「女がいま横を向いた。特に意味はない」というようなカットが二度ほど繰り返される。断言してしまうが、実際にここでは深淵な意味なんか殆ど存在しない。「なぜ? 知るかそんなこと」。これがゴダールの一貫した俳優への演出方法だと思う。演出(つまるところ、演技指導と言ってもいい)をすればするほど、俳優は死んでしまう。ゴーストに成り果てる。それは、ブレッソンやカサヴェテスの映画で幾度となく証明された事実だ。

まあ、ストーリーは何が何やらよくわからず、「難解」というよりもかなり「錯綜」しているのだが、はっきり言えば映画の良し悪しにそんなことはツユほども関係ない。”教授”ゴダールが麻生元首相ばりに口を歪めてフランス訛りの激しい英語を披露するわけだが、映画の冒頭、キャノンフィルムやノーマン・メイラーとの確執が明らかにされ、マルセル・カルネ、トリュフォー、パゾリーニらの顔写真を次々と映し出しては、彼らに救いを求めるカットが連続するのが強烈に印象的だ。

製作がキャノンフィルムってことで、カサヴェテスの『ラヴ・ストリームス』もそうなのだが、何か版権の問題があるのだろうか、稀代の傑作がいまだにDVD化されていない。今のところ、10年以上前にソフト化されたVHSを見るしかないわけである。まあそれはいいとして、しかし一方、サッシャ・ギトリやルキノ・ヴィスコンティのみならず、ジャン・ルノワールさえ知らない人間がこの傑作に字幕をつけることが許されていいのだろうか?という根源的な疑問は残るわけだが。

そして、ゴダール最高傑作が「アメリカ映画」というのも、何とも皮肉な話ではないか!

★★★★★★★★★★

ションベン・ライダー

1983年/東宝
監督:相米慎二
出演:藤竜也 河合美智子 坂上忍 永瀬正敏 鈴木吉和 
原日出子 桑名将大 木之元亮 寺田農 伊武雅刀

冒頭の7分間の長回しは、「よくこんな場面をワンカットで撮る気になるなあ」という程度の感想しか持ちえず、不意にその長回しが終わってしまうあたりも含め、観客に感動をもたらす効果までは至っていない。もともと相米は長回しに特別なこだわりがあるわけでもなく、中盤の貯木場のものにしろ後半の遊園地のものにしろ、躍動感のある映像を作り出そうとした結果として、長回しという手法が取られたのだと思う。

そんなわけで物語の錯綜もここにきていっそう極まってきており、やってることははっきり言ってむちゃくちゃである(笑) しかし、前記の名古屋の貯木場や、少年たちが初めて藤竜也と出会う木造船の内部の場面など、よくこんな場所を見つけてきたなぁと感心してしまう。河合美智子をはじめ役者たちもずいぶんと身体を張らされており、相米の映画に付き合うスタッフ、キャストも大変だったろうなぁ。

当時15歳の河合美智子がずっとノーブラで、銭湯のシーンとラスト付近では乳首まで見せている。河合のみならず、なぜか原日出子もずっとノーブラで通し、この2人の胸元ばかり気になってしかたがなかったw

けっきょく相米は処女作の『翔んだカップル』以降、真の傑作と呼べる映画は『お引越し』まで待たねばならなかったのだが、映画でしかできないことをやろうとする相米らしさはこの失敗作でもそこかしこ窺え、決して失望はしない。

★★★★★☆☆☆☆☆

ザ・フォッグ(1980)

The Fog
1980年/アメリカ
監督:ジョン・カーペンター
出演:エイドリアン・バーボー ジェイミー・リー・カーティス ジャネット・リー 
ジョン・ハウスマン トム・アトキンス ハル・ホルブルック

正統派の怪奇映画路線を狙ったカーペンターの意欲作で、60年代の恐怖映画のような古典的なテイストを持った映画だが、残念ながらあまり出来がよろしくない。霧の中から忽然と死者たちが姿を現すあたりの描写はとても良いと思うが、その怪人が鉤爪など、物理的な力で人々を襲うのはいかがなものか。せっかくいい雰囲気なのにもったいない。死者なら死者らしく、超自然な力でコトを成すのが怪奇映画というものだろう。

冒頭でマローン神父に声かける男はカーペンター本人のカメオ出演(だと思う)。

★★★★☆☆☆☆☆☆

2009年9月25日

黒猫・白猫

Crna Macka, Beli Macor
1998年/ユーゴスラビア=フランス=ドイツ
監督:エミール・クストリッツァ
出演:バイラム・セヴェルジャン スルジャン・トドロビッチ ブランカ・カティッチ

このいかがわしい能天気さは一体なんなのか。個人的な趣味だが、このノリと雰囲気にはまったくついて行けない。クストリッツァの監督作品では『アンダーグラウンド』の妙な陰惨さはまだ良かったのだが、この映画はちょっと俺にはしんどかったです。

★★☆☆☆☆☆☆☆☆

2009年9月24日

花影

1961年/東宝
監督:川島雄三
出演:池内淳子 佐野周二 池部良 三橋達也 高島忠夫 淡島千景

傑作。これは役者の力、すなわち川島の鮮烈なアクターディレクションに支えられた作品だ。特に、もうこれは完全に池内淳子の映画だと言い切ってしまってもいいと思う。彼女が映るカットだけが画面の密度が他とはぜんぜん違う。例を挙げれば、湯河原の旅館の縁側から夜の庭園を見つめるカットや、夜桜を見上げて「食べてしまいたいくらいキレイ」と呟くカット(ここでは、照明担当もとても良い仕事をしている)。

池内は、近づいてきた男は必ず惚れてしまうという役柄に恥じないファムファタールぶり。振り回される野郎どもはみんな手に負えずに離れて行ってしまうのだが、湯河原の女将の「あの人は女性としてキレイすぎるのよ」というセリフが全てを物語っている。淡島千景はこのセリフを言うためだけに出演しているといっても過言ではない。また、高島忠夫の手の平返しっぷりがとても面白い。若いツバメが年上の悪女に惚れるとこうなるという典型だ(笑)

池内が自殺する直前の、佐野周二の呟きがグッとくる。「人間は自殺するほど高等な生き物じゃない」。

★★★★★★★★☆☆

2009年9月11日

無鉄砲大将

1961年/にっかつ
監督:鈴木清順
出演:和田浩治 清水まゆみ 芦川いづみ 葉山良二 山岡久乃

清順らしい映画的空間造形、画面設計のオンパレード。無鉄砲な高校生がヤクザの事務所に殴り込むというお話は、正に無鉄砲でムチャクチャな荒唐無稽さなのだが、ヤクザの事務所の何とも異様なセッティングと、鏡を効果的に使った撮影を見てるだけでも楽しい。

いずれにしても、やはり鈴木清順は映画でしかできないことをやろうとしているし、その志が当時の日本映画の幾多の佳作を支えていたのだと思う。

★★★★★★☆☆☆☆

2009年9月10日

男性・女性

Masculin Feminin
1965年/フランス=スウェーデン
監督:ジャン=リュック・ゴダール
出演:ジャン=ピエール・レオ シャンタル・ゴヤ フランソワーズ・アルディ

この映画はずいぶんと政治的な言説に満ち溢れているが、この後に『気狂いピエロ』や『アルファヴィル』を撮っているのがどうも意外な感じがする。まあそれはいいとして、カフェで口論してた夫が妻に唐突に銃殺されたり、ナイフでレオを脅してた男がいきなりそのナイフで自害したりと、ゴダールらしいブラックなギャグが随所に挿入され、相変わらず笑わせてくれる。

この『男性・女性』を見てると、「真剣にゴダールを見ること」の馬鹿馬鹿しさが実感されるし、誰かが言った「B級映画の出来損ない」という表現がピッタリ嵌まるのもこの映画の他にないのではないか。もちろん、ここでいう「B級映画の出来損ない」とは、最大限の賛辞である。ゴダールはテストで100点満点取るような格好悪いことはしないし、赤点ギリギリなんて愚かなこともしない。毎回毎回あえて意識的に0点を取り続けているようなカッコよさがゴダールなんだと思う。

それにしても特筆すべきはやはり稀代の俳優ジャン=ピエール・レオ! タバコを投げてくわえ(そしてたまに失敗する)、トイレのドアやセメント壁に政治的メッセージを落書きするレオを見てるだけでも充分だという気にさせてくれる。この映画が終わる=レオにもう会えなくなる、というつらい事実が目の当たりになると、ずっとこの映画が終わらなければいいのに、という思いに囚われるのだ。

★★★★★★★★☆☆

四谷怪談(1959)

1959年/大映
監督:三隅研次
出演:長谷川一夫 中田康子 鶴見丈二 近藤美恵子 浦路洋子

三隅研次監督、主演に長谷川一夫を迎えた、大映製作の異色四谷怪談。なにせ伊右衛門が悪人ではなく至極まっとうな優しい人物として描かれており、周囲の悪人らによってお岩が殺されてしまうのに、お岩は毒殺後、伊右衛門のもとに化けて出る。伊右衛門はもうどうしていいのかわからずに「悪かった」「許してくれ」と何もしていないのに謝るわけだが、それでもお岩は許さない。このえげつなさはかなり怖い。怖さという点では、お岩さんものでは「最怖」なんじゃないか。

小学生のとき初めてこの映画を観たのだが、「悪いことをしなければお化けは出ない」と信じていた自分に、強烈なストレートパンチを浴びせた作品であった。お岩を殺したりその策略をしたのは伊右衛門ではなく周囲の人間であり、伊右衛門はぜんぜん悪くないのだが、あの世に逝くとそういう事実も全てお見通しになるんじゃないのかと思ったら大間違い。お岩は「伊右衛門が悪い」との固定観念に凝り固まり、ひたすら伊右衛門のもとに出る。

まあ、長谷川一夫主演がありきであれば、彼を悪役にするわけにもいかず、ストーリーの脚色を余儀なくされたのかもしれない。それが結果的には、得体の知れぬ理不尽さを獲得する結果となり、映画としては成功していると思う。

★★★★★★★☆☆☆

2009年9月6日

武蔵野夫人

1951年/東宝
監督:溝口健二
出演:田中絹代 森雅之 山村聰 轟夕起子 片山明彦

従姉のおばちゃんに惚れる学生の話。そのおばちゃんの旦那は別の女を口説いているし、口説かれた女はその学生に色目を使うという、ドロドロした四角関係が描かれる。大岡昇平のベストセラーが原作だが、そのへんは脚本もうまく纏め上げているが、ここでの溝口の演出はいまひとつキレがない。もちろん、レコードプレイヤーを前に田中と片山が並んで座り、肩が触れるか触れないか、手が合わさるか合わさらないかの微妙な距離感なんかとても巧いのだけど。

★★★★★☆☆☆☆☆

2009年9月5日

サイレントヒル

Silent Hill
2006年/アメリカ=日本=カナダ=フランス
監督:クリストフ・ガンズ

出演:ラダ・ミッチェル ショーン・ビーン ローリー・ホールデン 
デボラ・カーラ・アンガー キム・コーツ

一見すれば現代ぶった破廉恥からはもう卒業したいところだし、「完成された映画は古典にしか存在しない」なんていうニヒリズムは御免被りたい。しかしながら、最近の一部の日本映画やアメリカ映画を見ていると、現代性だとか古典的だとかいう言葉からは程遠いところでの是非が検討されている気がしてきて、どうにもやるせなくなる事がある。これが単なる郷愁で済ませられるならまだしも、例えばこの『サイレントヒル』を観ているときの、どうにも行き場のない不安というか脱力感を身に感じるにあたり、果たしてこれは「映画」なのだろうか?俺は「映画に似た何か」を見せられているんじゃないか?という、根源的な立ち返りへと回帰するとき、言いようのない不安に襲われることがある。最近の若いシネフィルなんかはこんな映画でもじっくりと咀嚼し、仮にその映画の出来不出来に一喜一憂することがあったとしても、しっかりと自分の映画的立場の中でのポジショニングを確保しているのだろうか。それはそれで歓迎すべき事だと思う。映画産業は、言葉を操る人間によって支えられているという側面があるからだ。ある映画について、良く言われるのも悪く言われるのも、それはそれで大切なことだと思う。

しかしながら、俺はこれを認めない。じゃあ何でダメなんだ、と訊かれても困るのだが、一言でいえば、この『サイレントヒル』は、近代の記憶を備えていない映画だからだ、とでも言おうか。なるほど、確かに画面はよくできている。巧妙にデジタル処理されたショックシーンの数々は、我々を驚かせるのに充分なのかもしれない。役者だって、よく頑張っていると思う。カメラの安定感だって捨てたものじゃない。

が、しかし、しかしである。この映画の元ネタである「サイレントヒル」というテレビゲームシリーズの一部を自分もプレイしたことがあるが、この映画は、他人のプレイしている「サイレントヒル」というゲームを、傍らで見ているという感覚にしかなれない映画なのだ。勇気を持って「こんなのは映画じゃない!」とまで言い切ってしまおう。郷愁だニヒリズムだと言われようが、映画オタクだと言われようが、俺は永久にこれを認めないだろう。そう、これは映画じゃなく、「映画に似た何か」でしかない!

俺が恐怖するのは、例えば20歳以下の若い人達がこの『サイレントヒル』や『20世紀少年』かなんかを観て、こういうものが映画なのだと思い込んでしまうことだ。まあ、戦前の日本映画や30~40年代ハリウッド全盛期の映画を観て「つまんね」なんてケッと唾を吐かれるのも寂しくもあるが、おそらく若者はそういう映画に触れる機会すらあるはずもなく、例えば、映画史に燦然と輝く大傑作であるオーソン・ウェルズの『市民ケーン』なんて、最近の若い映画ファンはどれだけ観ているのだろう? 職場近くの本屋で『市民ケーン』が300円で売られているのを見るにつけ、300円で『市民ケーン』DVDが手に入るウキウキ感と同時に、一抹の哀しさを感じてしまうのだ。

★☆☆☆☆☆☆☆☆☆

2009年9月4日

東海道四谷怪談

1959年/新東宝
監督:中川信夫
出演:天知茂 若杉嘉津子 北沢典子 江見俊太郎 池内淳子

まるでオペラのような荘厳さと風格を兼ね備えた画面を持った、怪談映画の正真正銘の傑作。特に、お岩が喉を掻っ捌いて自害する場面や、池からお岩がプカプカと浮かび上がってくる場面。そしてラスト、乳飲み子を抱えたお岩が月のシルエットをバックに悠然と佇むシーンの、目を見張る美しさとアクションの演出は見事と言うほかない。新東宝のキワモノ路線の一部ではあるんだろうけど、ちゃんとした題材をちゃんとした監督が撮れば、それはやはり面白く、とても怖いものになるのだ。

その「怖さ」という観点で見ても、まだ何も起こってないのに音響と美術ですでに怖いという、ホラー映画のお手本のような作品であると言える。そしていよいよお岩が姿をドーン!と現すと、やっぱりめちゃめちゃ怖い。

★★★★★★★★★☆

2009年9月3日

会議は踊る

Der Kongress Tanzt
1931年/ドイツ
監督:エリック・シャレル
出演:ヴィリー・フリッチ リリアン・ハーヴェイ コンラート・ファイト

いやあ、戦前のドイツ映画の完成度は本当にすごい。画面の中での人口密度が高い映画は個人的にはあまり好きではないんだけども、とてもクレバーで楽しい映画だと思う。ストーリーを追うのはやめて、途中からは画面から溢れ出す、言いようのない「愉しさ」に全身を委ねることに決めた。

ヒロインのリリアン・ハーヴェイは可愛いのだけど、哀しいほど胸がない。

★★★★★★☆☆☆☆

2009年9月2日

ガンダーラ

Gandahar
1987年/フランス
監督:ルネ・ラルー

『ファンタスティック・プラネット』の豊潤なイメージの数々と比べると、やはりかなり落ちるかなあ。ストーリーがいまいち判りにくいのは俺の理解力が足らないからかもしれんが・・・。テーマ曲はなかなか良かったし、ラストの「脳味噌」の断末魔の叫びなんかもとても好きなのだけど。

★★★★☆☆☆☆☆☆